変わらぬ光景を変えていく難しさ

 

こんにちは!

SELECT京都代表西又の父です。

 

以前にも能登半島地震についてのブログを書かせていただきました。

「日常とは、生きているとは」能登半島地震から~

 

その後です...

 

震災から半年

 

震災から半年が過ぎ

ようやく公費解体が7月から本格化していますが

あの時と光景はあまり変わっていません。

 

がれきは雨に打たれて朽ち果て

外れた戸から揺らぐ鮮やかだったはずのカーテンや生活用品の色は薄れてしまい

何もかもが灰色化してきました。

 

この光景を見ながら未来のことを考えるのはなかなかエネルギーがいりますが

一歩でも前に進もうと能登人は頑張っています。

 

今、大きい課題は生業を再生させるにも、安心して住める家をどう再建するかです。

材料費の高騰等で資金面の見通しが持てず決断できない人がたくさんいます。

 

そんな中

大雨でも灼熱の太陽の下でも黙々と手際よく働く、全国の作業員の方々の姿はたくましく

これぞ職人魂を感じます。

 

やってもやっても追いつかない仕事であることはわかっているでしょうが

感謝しかありません。

 

 

大会が開かれた

 

各地区の予選や石川県大会が無事に終わりました。

当初から大会の有無さえわからない状態でしたが

大会が行われたことに驚きと安堵の気持ちがあります。

 

練習は相変わらず場所がありません。

グランドは地割れし

体育館は床が盛り上がり

体育の授業も今なお狭い中庭で行われている学校もあります。

 

 

能登での地区予選大会の開催が決まった時は喜んだものの

自校では練習ができないため、夜に隣の市町施設に通ったり

ボールを使わない練習をしたり

練習環境としては最悪でした...

 

言い訳の声がない

 

特に3年生にとっては、最後の大会となるので

後悔のないよう精一杯練習して大会に臨むのが本当ですが

それが叶わず、最後の大会も思い通りにならなかったかもしれません。

 

しかし不思議と

 

「練習できなかったから負けた」

 

というような声はありませんでした。

それはなぜか確認はしていませんが

試合ができたことで十分ありがたいと思ったのかもしれません。

また、練習ができない状態でも

自分の今出せる力を出しきったと思ったのかもしれません。

指導者の先生方はそのけなげな姿を、愛おしく感じると同時に辛いものもあったでしょう。

 

また、こんなこともありました。

私の母校の高校バレー部の部員が2次避難や転校で半数のメンバーがバラバラになりました。

しかし、高体連のはからいにより

インターハイ予選では特例として

もう一度集まって母校のユニフォームで出場できる事になりました。

メンバーは休日に練習し、再会の喜びをかみしめながら試合をしていました。

 

・・・考えるべきことは

この夏の大会で被災した選手たちに何が残ったのかです。

成績は思う通りにはいかなかったかもしれませんが

勝利以上に大切なものが心に刻まれていると感じます。

 

結果は後からついてくるものですが

そこに至るプロセスは自分で作るものです。

自分たちが歩んだプロセスが

今後の人生においても価値あるものにつながっていくことを願っています。

 

それでは、今回はこの辺で。

 

被災地の「いま」を考えられる時間に。

 


 

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