能登半島地震から1年

 

2025年1月2日

能登の被災地を父と回りました。

 

昨年1月1日に被災し、夏に一度帰省して以来の風景でした。

 

 

その間、復興に動いた人たちのことを思うと言葉になりません。

 

父もその一人だったかと思います。

 

今回は言葉にならない部分を言葉にしたいと思います。

 

何もできないけど

やらないよりまし

 

片側通行の海岸線

地面に接する屋根

一階が吹き抜けた家

山肌むき出しの斜面

 

改めて、被災地の現状を目の当たりにした。

公費解体が進み、更地になった地面は自然に見えて寂しさを感じた。

 

父いわく…

「地震だけならまだましだった」

 

その後、9月の洪水が追い打ちをかけました。

 

復興最中の洪水

跡形も残さない水の脅威

 

1000年に1度の災害が2024年に2度、能登地方を襲いました。

 

正直な気持ちは

「もう、無理でしょう。」

 

これです。

 

 

ただ、そこで未来を見ている人がいます。

 

2度もクリニックをつぶされた歯医者さん(町、唯一の歯医者さんは再開してます。)

一階部分が全て浸水したけど営業しているスーパー(ボランティア受け入れ施設にもなっています。)

「負けてたまるか」道のいたるところで見える手作りの看板(錆びた看板からもエネルギーを感じます。)

教育を元通りにしようと踏ん張る父(小中学校に通う学生は半分になりました。)

 

その活力に頭が上がりません。

 

ただ、

この先、何ができるの?

 

今後は個人の頑張りでどうこうできるレベルではない気がします…

 

 

もう一度、能登に

 

震災前は多くの企業が能登地方に進出していました。

海を見ながらのリモートワーク

海岸沿いの貸切エステサロン

気候を活かした大規模農業

羽田空港から60分の事務所

 

能登の魅力に気づいた経営者の方が多く進出していました。

 

人が良い、景色が良い、自然が豊か

 

そういった環境を求めた先に能登があったのだと思います。

同時に観光も盛んになっていました。

 

 

 

可能性を大きく秘める能登を復興させたい!

 

現状復帰を目指して行政も動いてくれていますが、なかなか時間がかかっています。

 

 

1年経った今

 

現状復帰したところで

離れた能登出身者は戻らないでしょう。

 

戻って来てほしいけど…

そんなことを思いました。

 

じゃぁ

このブログで何を発信できるのか

 

今後、3年、5年、10年先になるかもわからない能登の復興のきっかけをつくれないか。

 

私が動いたところで、何の力にもなりませんが、

 

どこかの会社が手を貸してくれないか

アイディアを持つ有識者が提案してくれないか

どこかの投資家が出資してくれないか

 

そんな可能性のために発信したいと思います。

 

活かせる能登の強み

  • 更地になった広大な土地
  • 田舎ならではの人の繋がり
  • 歴史ある伝統産業
  • 海に囲まれた地形
  • 東京からの好アクセス
  • 涼しい夏

自然の驚異と同じだけ、

いや、それ以上の美しさがあります。

 

どこかで、その魅力を引き出すアイテムがないか。

 

他力は承知です。

 

そういったワクワク要素が再び人を惹きつけ

復興の兆しになれば。

 

人が集まることが一番の復興です。

 

お金もない、ボランティアにも行けない私ができること

助けではなく、可能性を求めること

 

過去に戻ることではなく、未来に進む復興を望みます。

 

何もできないけど

やらないよりまし

 

そんな言葉を胸に書きました。

 

コンビニにある募金箱に釣銭を

テレビのチャンネルを回した先に能登を

能登出身者にエールを

 

その取り組みが、何かに繋がることを願って。

 

 

「負けんぞ、能登」

本物は続きます。

これからが能登の本領発揮です。

 

長々と失礼しました。


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